年末年始のこだわりを捨てる

終活

昨年のお正月、おせちを用意するのをやめた。

おせち料理というほど立派なものを用意していたわけではないけれど

暮れに必ず買っていた伊達巻やかまぼこ、栗きんとん、そしてお餅を買わなかった。

 

たったそれだけのことに何年もかかった。

「お正月くらいちゃんとした方がいい」という気持ち。

「お正月なんだからお餅を食べた方がいい」という発想。

 

子供たちがいたころはそれなりにおせちらしきものを用意して元旦を迎えていた。

お正月はこういうもんだということを一応伝えてきたつもり。

特に来客があるわけでもなく、家族で初詣に行くこともなく。

彼は必ずお雑煮を作って食べていたっけ。

 

料理が好きなわけではない私にはおせちが少し苦痛でもあった。

買ってきたものを切って並べるだけなのに。

そして、だからこそ、それらをやめることに罪悪感もあった。

でも、急に「もういいよね?」と思った。

「今までやってきたんだから。」と。

そう思ったら不思議と罪悪感も消えた。

 

元旦の朝、いつものようにコーヒーを淹れ、トーストを焼いた。

うん、問題なし。

 

昨年末は大掃除をしなかった。

まとまった時間がとれなかったと言った方がいいかもしれない。

少しずつやれるときにやればいいと思うようになった。

気になったところを気になった時に。

突然スイッチが入ってねこのトイレを洗ったり、

米びつが空になったのを機にシンク下を整理したり、

天気がいい日に外の物置の中を片づけたり。

 

そしてこの年末は年賀状を用意しない。

そのために今年はその予告も入れた。

年賀状を考えて作ることは、もう時間的にも経済的にも難しい。

今回は年が明けた2日と3日に作って出す始末。

 

元旦に届いた年賀状を見ると、年に一度の近況報告の方もいて

そういう方の年賀状がなくなるのは正直さびしいけど

これも「もういいや」と思えたので。

 

1年の締めくくりとか、新しい1年のはじまりとか

そこをきっかけに自分が成長できるならそれはとても素晴らしい。

でも、それにこだわりすぎて劣等感や罪悪感を抱くなら

気にしなくてもいいと思う。

大晦日も元旦も同じ1日なのだから。

 

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