大好きな漫画「夜廻り猫」。
「エデンの東北」、「ハガネの女」、「カンナさーん!」の作者、深谷かほる先生の作品。
2015年10月にツイッターで連載を開始、
第21回手塚治虫文化賞短編賞、第5回ブクログ大賞のマンガ部門大賞を受賞しています。
私が「夜廻り猫」を知ったのもツイッター。
ツイッターで先生がUPするものを欠かさず読み、バックナンバーもさかのぼって読みました。
現在、1~6巻まで発売しています。
「泣く子はいねが 泣いてる子はいねが」
涙の匂いをたどって現れる“夜廻り猫”の遠藤平蔵。
涙を流した人や猫、犬たちとともに泣き、笑い、励まし、ときどき逆に励まされながら、彼の夜廻りは続いていく…。
(モーニング公式サイト・作品紹介より)
読み進めるうちに登場する猫も覚え、それぞれの境遇も知り、
「生きる」ことをあらためて考えるきっかけをくれました。
主人公は「遠藤平蔵」というグレーの猫。
「重郎」という片目の仔猫といつも一緒にいます。
夜の街を歩く「夜廻り猫」遠藤平蔵は、あなたの涙の匂いをかぎつける。
うれしい涙、悲しい涙、なぜかポロリとこぼれる大きな涙。
どんな涙にも遠藤平蔵はやってきて、あなたにそっと寄り添う。
(モーニング公式サイト・第6巻発売のお知らせより)
そう、遠藤と重郎(仔猫なので自分のことは「じゅーろ」という、これがかわいい♡)は涙の匂いをかぎつけて
話を聞いてくれるのです。時に励まし、時にうなずき、そっと寄りそってくれるのです。
毎回毎回ジーンときてしまう。なんなんだろう、この感覚。
いつもハッピーエンドではないけれど、胸が苦しくなるような話でもどこか温かい、
その話の主人公の幸せを祈らずにはいられない。
そして遠藤とじゅーろを取り囲む面々も個性的。
一匹狼的な行動をするが実は心優しく重郎に食べ物を持っていくことを使命としている「兄(ニイ)」
集会がしたくていつも誰かを待っている集会猫の「全部(ゼン)」
弱っているところを遠藤に助けられ永澤家の一員となるがいつもひかえめな「ラミー」
作家の先生と一緒に暮らしている遠藤の親友「宙(ちゅう)」
ゼンが大好きな「メロディ」
メロディの姉「カラー」
さっちゃん(年配の女性)と暮らす「ワカル」
他にも
「雑巾野郎(グレル・モエル・ショゲル・サトル・ビビル)」
「ラピ(永澤家の先住犬)」
「ハッピー(犬)」
「元・重郎(自分の名前を重郎に譲ったボス猫)」
「布美(別名おこそ頭巾)」
「ラブ(犬)」
「モネ(飼い主にわがまま放題)」
などなどたくさんの登場人物?が時折登場して物語が紡がれていきます。
その中に「帽子猫(帽子の柄の仔猫)」という猫がいます。
重郎と変わらないくらいの仔猫なのにいつも一人でいるのです。
「夜廻り猫の展覧会」という本の中にある「プレゼント」というお話。
遠藤はクリスマスの夜にサンタクロースから「寂しい猫」へのプレゼントを配る役目を担います。
重郎はお留守番。「誰かが来たら隠れるんだぞ」とサンタの衣装を着るために脱いだ遠藤の半纏に包まれます。
ニイ、おこそ頭巾、ゼン(とメロディ)、ワカル(とさっちゃん)、元・重郎(と元・重郎が面倒を見ている猫たち)
そして、「呼んでも出てこない猫」「1匹でいたい猫」「恥ずかしがりやの猫」
最後は「この街の腹ぺこ猫たちー!」とみんなに魚を食べてもらう遠藤。
みんなが満足した様子を見て「ではこれをもらって帰ろう。重郎が待っている。」と最後の1匹を持って帰路へ。
「重郎 重郎 腹ぺこで待ってる!」と急ぐ遠藤の目の前に震える「帽子猫」が。
「おまいさん、ひとりなのか…⁈」と聞くと慌てて電柱の蔭へ走り逃げる帽子猫。
次のページにはサンタの服も魚も持っていない遠藤の姿。
そして重郎に「あんなにあったのに重郎への魚はもうないんだ」「俺のせいで」「申し訳ない」と謝ります。
でも、重郎は走ってくるのです。
「えんど」と言いながら遠藤の懐に飛び込んでくるのです。
「贈り物はありました」
「贈り物はあなたでした」
「贈り物はわたしでした」
帽子猫はクリスマスの夜に独りぼっちだったけど、おいしいお魚と温かいサンタの衣装をもらえました。
それが遠藤のいいところ。
重郎は遠藤が帰ってきてくれればそれでよかったのです。
本当に大切なものは何かを思い出させてくれたお話でした。
こんなお話もあります。
凍える夜にひとりでいた帽子猫に一緒に眠ろうと誘う遠藤と重郎。
遠藤の両脇に重郎と帽子猫、3匹で一緒に眠ります。
翌朝目覚めると帽子猫はもういません。
「ずっとひとりでがんばってきたんだ。きっと帽子猫には帽子猫のルールがあるんだろう」
「いつでも来いよ」「ぼうし、まってるぞ」
遠藤と重郎の言葉を物陰からじっと聞いている帽子猫。
前回も帽子猫の【練習】というお話でした。(夜廻り猫は基本毎週月曜日と金曜日更新)
「(雨の中)おーい帽子猫じゃないか」
「濡れたろう」「あったまっていかんか?(と半纏の懐を片方広げる遠藤、もう片方には重郎を抱えている)」
近くまできた帽子猫はなぜかパッと翻り行ってしまいます。
「ぼうしはどうしたのだ?」と聞く重郎に遠藤は
「うーん」「なんだろう」「まあ大丈夫だろう しっぽは上がってたから」と答えます。
走ってきた帽子猫は立ち止まり震えながら言葉を言おうとします。
ひとりで一生懸命…
「あ」「あり」「あり…」「ありが…」
そう練習している後ろ姿で終わります。
もう涙腺崩壊。
なんて愛しい姿なんだろう。
こんなにちいさくてもちゃんとその気持ちに応えようとしている。
「がんばれ」と思わずには言わずにはいられない。
無理に追いかけない遠藤さんも素敵。
ちゃんとしっぽが上がっていたことを見てくれていた!
そして私が一番好きな帽子猫の話。
「夜廻り猫の雑貨店」という話などに出てくる、帽子猫です。#夜廻り猫 pic.twitter.com/H78n73YF4U
— 深谷かほる深谷薰「夜廻り猫」7巻 (@fukaya91) July 1, 2020
(画像をクリックすると最後まで読めます)
遠い昔の自分と重なるこの話。
当時、ウチはの暮らしはお世辞にも楽とは言えず…。
冷蔵庫の中はいつもスカスカでお財布とにらめっこしながら暮らす日々。
そんな時、息子のサッカー仲間で恒例のお花見をしようと連絡が入りました。
この仲間とは息子が小学校を卒業してからも月イチで集まってワイワイ。
でも、私はだんだんそこから遠ざかっていました。
単純に参加する経済的余裕がなかったから。
飲み会やカラオケには到底参加できず、たまに体育館を借りてソフトバレーなど参加費がかからない時にだけ参加。
それを陰でアレコレ言われていたことも薄々わかっていました。
でも、仕方ない。それが現実。
お花見の連絡も「いつもみたいに持ち寄りで」とのこと。
みんなが自分の飲み物を持参し、おつまみも各自用意するシステムです。
とはいってもみんな作ってきたものを適当に並べて「どうぞご自由に」となります。
本当に自分の食べる分だけをお弁当箱につめて…なんてことはないわけで。
私は「今回は行けないかな」と伝えると「なんで?」「持ち寄りだから大丈夫だよ、お金かかんないよ?」
ま、そりゃそうなんですけどね。
「お金がかからない=会費がない」だから来るよね?的な言われ方。
冷蔵庫の中にはウインナーと卵。これでどうしろと?
いや、どうにかしたら子供たちの晩御飯は?
実際そこまで切羽詰まっていたとはだれも思っていなかったんだろうと思う、今でも。
でも、あの頃は本当にきつかった。
お金がないことよりも、お金がないことを分かってもらえないことが。
「ない」と言っても「いやいやそんなことないでしょ?」みたいな。
あの時、参加しなかったことで私の中で何かが吹っ切れて、変にみんなに合わせることがなくなりました。
今でもあの日の自分に拍手を送りたい。
もし、あの時遠藤さんと重郎がいたらなんて声をかけてくれたかな。
上手く泣けてもいなかったから涙の匂いすらしなくて気づいてもらえなかったかな。
私はあの日参加したかったわけではなく、きっと参加しないことを認めてほしかったんだ。
みんなは悪気なく何度も誘ってくれたけど、それが辛かった。
ありのままの自分でいいと帽子猫に思わせてくれた遠藤さん。
これを読んであの日の自分を認めてもらえたような気がしてとてもうれしかった。
この帽子猫の話をとても好きだと引用リツイートしたら、深谷先生にリプいただけて感激。
さらに先生がリツイートしてくださったのでたくさんの方の目に触れてとてもたくさんのいいねがついて驚き。
あの日の私に教えてあげたい。
注:「夜廻り猫の雑貨店」は「夜廻り猫」第6巻の特装版についているオールカラーの冊子です。
書籍はもう特装版は売り切れていますが電子書籍ならあるようです。