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【保護猫との暮らし】ねこの看取り(ねこの旅立ちから思うこと)

ねこ
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先月、人見記念講堂での風くんのライブに行った4日後の1/14(Thu)。

病に伏していたねこが空へ帰っていった。

 

「脊髄の梗塞の可能性が高い」と言われ投薬とサプリメントを摂取していたが改善は見られず…

となると「梗塞ではなく腫瘍を疑う」そうで、ステロイドが処方された。

日に日に右半身が動かなくなっていった。

 

 

1/10(Sun)藤井風「HELP EVER HURT TOUR」人見記念講堂

 

 

 

この日、そのねこはとても穏やかだった。

少ないながらも食べ、粗相することもなかった。

今日急変することはないだろうと思って出かけることができた。

もちろん最短の時間での外出にはしたが、帰宅後もねこは変わりなく穏やかだった。

 

そして翌日(1/11)の朝、食べることを拒んだ。

他にも少し様子がおかしかったが病院は祝日は休診。

翌日を待って予約を入れた。最短で1/15。

無理してでも食べさせた方がいいのかという私の問いに獣医師は

 

「コハンは嫌がったらやめていい。それを食べさせたからといって、食べさせていない場合より長生きできるかといったらさほど変わらない。」

 

と答えた。

この言葉で、毎回悩んでいたこの問題に、今回は悩まずに済んだ。

苦痛を伴いながらの延命ははなから望んではいない。

が、これを食べたら少し力がついてもう少しだけ一緒にいられるのでは?という小さな希望は常にある。

同時に、これを食べさせられることはこのねこにとって苦痛なのではないか?という疑問も。

 

その後も食べなかった。

1/13、予約日まで待てないと思った私は翌朝病院に連れて行こうと決めた。

朝イチで着くためには8時前には家を出なくてはならない。

いつもより早めに布団に入り、隣で眠るねこに「明日先生の所に行こうね」と話した。

 

翌朝(1/14)、ふと目が覚めると隣にいるねこと目が合った。

 

「おはよ」

 

すぐに違和感。

もう息をしていなかった。

とはいえまだ温かく柔らかい。

 

何回も口元に耳を寄せ呼吸をしていないか確かめた。

心臓に手をあて動いていないか確かめた。

「あ、動いた!」と思うとそれは自分の脈だったり…。

抱っこして呼びかけて、何回も何回も繰り返してを1時間。

やっと

 

あ…ホントにもう旅立ってしまったんだ…

 

と思い始めた。

何度見送ってもこの行動は変わらない。

看取ることができなかった時は毎回こうなる。

 

そして何をどれだけ尽くしても後悔が残る。

 

こればっかりは慣れることはない。

本当に。

あと10回の見送りで私の任務は完了するけれど。これだけは繰り返すと思う。

 

獣医師に連絡して状況を説明した。

 

「おそらく脳圧が上がって小脳がずれて小脳ヘルニアを起こしたのではないかと思われます。だとしたら最期は一瞬です。」

 

苦しんではいないだろうというのがせめてもの救いだった。

表情もとても穏やかだった。

私がその時間に目が覚めたのは「きっと呼ばれたんでしょう」とも。

 

花とわずかなフードを入れて霊園にて火葬。

15年8か月、ウチにいてくれてありがとう。

大好きだよ。

 

ずっと別の部屋で寝ていた私は、亡くなったねこが不調になった時からその部屋で寝ることにした。

その部屋は彼(亡くなった夫)の部屋だった。

彼の部屋は、カーテンを開けると朝陽が差し込んでとても気持ちがいい。

別の部屋で寝起きしている時、朝カーテンを開けに来るたびに

「気持ちいいねぇ。」とみんなに話していたっけ。

彼が亡くなった時、その部屋には7匹いたねこたち。

とうとう1匹になってしまった。

 

残ったねこは今その部屋で寝ている私にくっついて寝ている。

6匹から徐々に減り、2匹になってしまったときでさえくっついてこなかったのに。

1匹になってしまってからもうひと月半。

この子も15歳9か月半。いろいろ気をつけていかないとね。

 

 

猫が旅立つたびに、荷物を減らしている。

なぜか減らしたくなるのだ。

先日の大きな地震の後、留守に倒れたら危ないとテレビをテレビ台からおろした。

この部屋には4匹のねこがいる。下敷きにでもなったら大変。

そして台からおろしたテレビとテレビ台を見て、もうテレビ台もいらないだろうと思い切って処分した。

扉を外し、棚板を取り、引き出しを抜き…本体は頑丈でばらせなかったのでそのまま。

2/26粗大ごみとして持ち込んで処分した。

 

背の高い家具も処分したいと思っている。

食器棚と本棚。

食器棚はもはや食器はほんの少ししか入っていない。

また整理して身軽になろう。

義母が亡くなった時にその部屋の整理はとても大変だった。

同居していた、たかだか8畳間だけのスペースなのに。

その時以来、必要最低限を目指している。

私が旅立ったあとに残されたものが苦労しないように。

 

 

 

実家での騒ぎがまた再燃。

年老いた母とそれを取り巻く環境や人。

残された時間を楽しく過ごしてもらいたい。

のに、そうはできない性格らしいw

愚痴ってるだけじゃ何も変わらないよ?お母さん。

とはいえ、もう80代、環境を整えるお手伝いはしますね。

敵は強者ばかりだけど、まずはやってみます。

 

それとは別の奈落の底案件も続行中。

 

ため息出そうだけど、いや、出ちゃってるけど、

明日はCDTVにミレパ出るし、藤井風「旅路」配信開始で報道ステーション生出演生演奏だし、

 

がんばる!笑

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