召天者記念礼拝

わたし

毎年 11月の第一日曜日に早稲田教会へ行く

年に一度の「召天者記念礼拝」に参加するために

父が亡くなって30年を越えた

この教会へ来た回数も同じとなる

 

母はもう長時間の電車と徒歩移動は難しく不参加

私は受洗しているわけではないが

この日だけは礼拝に行くことにしている

 

教会に着くとその日に歌う讃美歌や読まれる詞が印刷された一式を渡される

讃美歌は譜面なので初めての歌も歌うことができる

譜面をよめるのはエレクトーンを習っていたおかげ

習わせてくれたのは父

アルコール依存症で最期までわかりあえなかったけれど

唯一感謝しているのはこのこと

本当は「わかりあえなかった」のではなく

「わかろうとしなかった」のかもしれない

 

渡される印刷物一式の中にある「召天者名簿」

100名を超えるその中には若くして亡くなったいとこの名前もある

有名国立大学に入ったその秋に突然亡くなってしまった

当時中学生の私は

おそらく人生で初めての告別式参列だったと思う

いとこの名前を呼び続けるおばの姿を今でも覚えている

自分の子供がそのいとこの年齢をとうに超えた今

あの時のおばの気持ちは察するに余りある

 

そしてそのいとこの名前の少し後ろに父の名前

私も父が亡くなった時の年齢を越えてしまった

あの頃 父は何を思いなぜお酒に走ったのか

あの頃 母はどんな気持ちで日々を過ごしていたのか

 

父が亡くなってしばらくは夜になると涙が出た

考え始めるといろいろなことを思い出す

いろいろな場面がよみがえる

悲しかったり切なかったりしても

楽しい気持ちにはならない

そして「嫌い」だと思っていた父のことを考えて泣いている自分に

無性に腹が立った

そんなことを繰り返すうちにたどり着いた結論

 

「もう父のことは考えない」

 

そこから私は父を思い出すことを封印した

正解かどうかはわからないが

涙する夜はなくなった

子育ての忙しさが幸いしたと思う

 

いつだったか母と何気なく会話していた時に

「最近ね なんかもういいやって思えてね

お父さんのこともすーっと許せたのよね」

父が亡くなって何年経ったころだったか記憶にはないが

この言葉を聞いて「よかった」と思った

母が自分でそう思えたこと

それを私に話してくれたことがうれしかった

「もういいや」なんて思えないくらい苦労しただろうに

「すーっと許せた」と言える日がくるとは思わなかった

 

私の中でも少しだけ変化はあった

母や家族と一緒でなければ行かなかったお墓参りも

いつのころからかひとりでも行くようになった

 

彼が亡くなった時には

「彼がそちらに行ったので一度会ってくださいね」

と心の中で話した

彼は昏睡状態の父しか知らないから

 

彼が入籍前に両親にあいさつしたいと言っても

母にしか会わせなかった

父に命の期限がつけられたとき

初めて彼は病床の父と会った

母や主治医が何度呼びかけても揺り起こしても父は眠っていた

彼は「起こしたら悪いから帰ろう」と病室を出た

母や主治医が必死に呼びかけたのは

「今起こさないともう起きないんじゃないか」

ということだったと私は理解している

 

「時間が解決する」というのはあながちウソではないかもしれない

でもそこには少し意地もあって

「思い出は美しい」だけにはしたくない

苦しかったことも嫌だったことも全部本当のことで

それはチャラにはならない

したくない

それがあっての今

それも含めての今の自分

 

来年もまた11月の第一日曜日は召天者記念礼拝へ

 

 

 

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